社会福祉法人あけの星会の歴史

 

 あけの星会は、パリ・ミッション会の故S・カンドウ神父を中心として、その指導のもとに集まったカトリック婦人達によって、結成された社会事業会である。故S・カンドウ神父は古典にまで及ぶ深い研鑽の日本語によって、日本人の思想、哲学、文化の向上それらの根底を貫くカトリック信仰への導きに30年余の半生を捧げられた方である。

 神父のキリストの愛に徹した信仰指導のおもむくところは、愛の実践である社会事業であった。昭和5年頃から神父の要請によって婦人達は、病者、貧困者の救済に活動を続けた。そして昭和10年には「あけの星社会事業会」と名称を定め、規約を作り、会が発足したのである。

 治療の手の届かない貧困、病弱者の訪問、慰めから始めた活動も、救済対象者の数が増加し、無料入院のために病室の増築等の必要ともなり、そのため、種々の催し物や寄付集めで資金作りの活動を必要とした。

第二次大戦による神父の帰仏中も故土井枢機卿の監督の下に、種々の形で社会事業を続けていた。

 終戦後、神父が再び日本に帰られてから一時、愛聖園養護施設と聖オデイリヤホーム乳児園の経営にあたることになったが両施設とも、27年法人認可と共にその経営の任から離れた。昭和28年8月、会は社会福祉事業法による第二種社会福祉事業(助成事業)として、公認され社会福祉法人「あけの星会」として厚生大臣の認可を得て、社会福祉団体として新に発足した。(認可番号厚生省東、児100号)

 第二種事業(助成事業)というのは、会費や催し物等の収益を社会事業を行う施設や団体に直接助成する事業であれば、年間50ヶ所以上、500万円以上を施設や団体に助成することが義務づけられている。当会は、施設を持たない会のため以上のことを、募金と年1回の映画会を催すことによって、各界の多くの方々から多額の浄財を頂き、乳児院、自立援助ホーム、知的障害者施設、養護施設、重度心身障害者、肢体不自由児などの各施設に、全国的に助成を行っている

 

 S・カンドウ神父は昭和30年9月28日に亡くなられ、土井枢機卿が昭和45年に亡くなられるまで会長の任に当たられた。その後、麻生和子が平成8年になくなるまで会長の任に当たった。没後、三浦智子が会長を引き継ぎ、平成10年に相馬雪子、平成16年に根道温子が会長となり、現在に至っている。